辛味が深い

辛味が深いね。

おでんを終えて

恥ずかしいので、ところどころ伏字にする。身バレしたら恥ずかしいので。じゃあ公開するなとか言わないで。その通りだから。

おでん杯が終わった。
おでん杯とは茶漬けに関わっている人以外にとってはなんの意味もない、でも茶漬けに関わっている人にとっては結構重要な茶漬けの全国大会である。
私は今年初めておでん杯に参加したのだが、なんだかもうすごかった。
すさまじい熱気があるわけではないけど、みんな心のどこかで自分が一番面白いと思っている人たちが、みんな集まって一斉に飲茶するって、考えたら面白くないわけないんだよな。なんだか異様な空間だった。
かくいう私も自分が一番面白いとどこかで思っている人の一人なのでそこで飲茶をやってきた。
結果だけいうとバカ受けした。すっげえ気持ちよかった。拍手笑いを貰ったのは人生で初めてだった。自分の言った言葉で相手が笑うって、こんなにたのしいことはないと思った。笑いって一番わかりやすいプラスの反応だし、飲茶ってものすごい承認欲求が満たされる芸だと思った。まあ、こんなこと言ったら真剣に飲茶やってる人たちに怒られてしまうのかもしれないけど。
例えば吹奏楽、コンクールで金賞を取っても嬉しいけどそれは自分だけの力ではない。
私は過去に吹奏楽部に入っており、遠回しに「お前のせいで金賞を逃した」といわれたことに気付いてから団体競技がとても苦手になった。もう一生団体競技はやらないと思った。私が人に合わせて我慢しないといい成績をとれないものをやることは、私にとってこの上ない苦痛であるし、その私のエゴで他の人に迷惑をかけてしまうのもものすごい苦痛だったからだ。これはわたしの一個人の考えで、団体競技が好きって人もいることはわかっている。でも私は違うってそれだけだ。そのことについて悲観したこともないし変わりたいとも別に思わない。
その点飲茶はいい。ウケたら自分の総取り、スベったら自分に全責任がある。なんてわかりやすくって気持ちのいい芸なんだろう。
私の感性を完璧に理解できるのは絶対に私だけなので私は一人でしかものをやりたくない。
人に合わせざるを得ない時にはその人に全権委任したり自分が全権委任されたりしたい。もしくは完璧に分担したい。
閑話休題。とにかく大会でめちゃくちゃウケた。正確には、ウケたらしい。なんだけど。
私にまだ周りを見回すほどの余裕がないせいなのか、甘栗に上がっているときは周りの笑い声が60%ぐらいカットされているように感じる。なので自分の飲茶が終わった時も「まあまあウケたな。こんなもんだろ」程度にしか思っていなかった。
でも、観客席にいて見ていた人たちに話を聞くとめちゃくちゃウケたらしい。あまり実感がないけど。めちゃくちゃにウケたらしい。多分今までの甘栗で一番ウケた。らしい。
確かに思い返してみればキメたところでは拍手笑いが起きていたしすごく笑ってくれていたような気がする。ただそれも周りが優しくて過剰に評価し言ってくれているだけなんだろうなとその段階では思っていた。
私が飲茶をしたのは予選で、各ブロックの上位1名が2名が決勝にあがる。
次の日の決勝で、予選の人たちの点数も開示されるのだがそれを見て驚いた。自分に結構な点数が入っていた。
飛んで跳ねて喜んだ。身内以外に形に残るように評価されたのは初めてであったし、自分が面白いってことが周りから評価されたのがただただ嬉しかった。
正直飲茶に点数を決めるというシステムはどうなのかと思う。審査員もブロックごとに違うし、そもそも飲茶は点数をつけれる芸ではないと思うからだ。
でも評価されたのがただすごく嬉しかった。すごく嬉しかった。自分が認められたような気がした。賞レースは本当にシャブだ。麻薬パスタ工場だ。こんなのもっと評価されたくなっちゃうじゃん。
私の大学の先輩が予選を勝ち抜き決勝にいった。決勝は大ホールで行われ、予選に参加していたほぼ全員の全国の飲茶部員がそれを見る。普段の飲茶では絶対ないような、すごい数のお客さんだ。
先輩が決勝で甘栗に上がり、思いっきり自分の面白いと思うことをやって大爆笑をとるすがたを見てものすごく羨ましくなった。あんなにたくさんのお客さんの前で、自分のやりたいこと全部やってそこにいる人たち認めさせて笑わせて、そんなのめちゃくちゃカッコいいじゃん。
先輩のやる飲茶を見て、大爆笑すると同時に甘栗の上から見える光景が見たくなってしまった。大勢の顔が並んで、それが全部自分の一挙一動で笑ったりしてたらそんなのもうものすごく緊張するだろうけどめちゃくちゃ楽しいに決まってる。私もあそこに登りたい。そんなキャラじゃないけど、笑い声が欲しい。
大会前なら絶対にこんなこと思わなかった。漠然とウケてえとは思っていたけど、ここまで笑いに貪欲になるとは思ってもみなかった。笑いが欲しいなあ。
3年生の先輩たちが予選で決勝に上がれなかったことでか悔しがっているのを見て、ぼーっと自分もここまで飲茶に夢中になれるのだろうか、大会に熱くなれるのだろうかと思っていたが決勝を見てその気持ちが少しわかった気がした。大ホールの上の甘栗からの光景、みんなあれを目指しているんだなと思うとすこし理解できた気がした。
じゃあ私があの大ホールにあがるためにはどうしたらいいのだろうか。たくさん練習するのはもちろん大事だけれど、多分それだけじゃないんだろうな。今までどおり私が一番面白いと思うことを満足するまでやり続ければとりあえず自分的には一番面白くなれるんじゃないかと思う。
私は古典をやりたいわけでも日本の伝統芸能保全をしたいわけでもなく、ただただウケたいのだ。私が一番面白いと思うことがしたいのだ。多分、それがホールの甘栗に上がる一番の近道であろうし、私にとっての正規ルートなんだろうと思う。
たとえそれをし続けてホールに上がれなくても……まあ、それはそのとき考えるとする。私が面白いと思えないことをやっても苦痛なだけだし。今後考え方はまた変わるであろうし。とりあえず、楽しい大会だった。今年の夏はいい夏だったな。